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第3回 マグロを取り巻く環境

私がマグロに強い関心を抱くようになったのは1990年のことだ。  

それまでも、缶詰やサラダ、サンドウィッチ、鍋料理に姿を変えたマグロのことはよく知っていたし、寿司や刺身が世界中に普及する何年も前に、ロサンゼルスの高級日本食レストランで、勧められるままに薄切りの生のマグロに挑戦してみたことさえあった。

野生のマグロにも、2回遭遇した。最初は1975年、南太平洋のチューク環礁(トラック諸島)を取り巻くサンゴ礁の外縁に沿った険しい崖のそばで潜水していたときで、2回目はその1年後、ちょうど地球の裏側にあるインド洋のアストブ島で同じような崖縁沿いの深海に潜っていたときだった。

その2回とも、青光りする大きなマグロは、自分たちのきらめく世界に闖入してきた奇妙な霊長類に興味を持ったらしく、すれ違いざまにちらっと見てやろうと、進路を変えて滑るようにこちらに近づいてきたが、やはり警戒したのか、するりと通り過ぎ、その暗い影はどこまでも続く青い空間に溶け込んでいった。

ところが1990年、米国海洋大気局(NOAA)の主席研究者に着任して間もない頃に一つの論文を目にした。そこに記されていたのは、「海で最速の魚」として象徴的な存在でもある北大西洋のクロマグロが、20年間で90パーセントも減少したという衝撃的な事実だった。

数週間後、私はクロマグロの漁獲割当が議論される会議に出席した。そこで出された由々しき提案は、今後もアメリカに大量のクロマグロ漁獲枠を許可するものだった。唖然とした私は思わずこう叫んだ。

「クロマグロを絶滅させるつもりですか? だとすれば、お見事ね! あと10パーセントしか残っていないんですから!」

1990年代の東京の築地市場では、クロマグロが約100キロあたり10万ドル以上という高値で競り落とされていた。その極上の味を絶賛する人がいる一方で、マグロの流線美と気高さを愛情いっぱいに著書に綴った環境活動家もいる。

普段は魚類を冷静かつ科学的な視点で見る研究者らも、マグロの生態には感嘆の声をあげ、驚くべき長距離の回遊行動や、高速で泳ぐ能力の秘密を解明しようと熱心に取り組んでいる。もしマグロがこのまま忘れ去られてしまったら、その生態に関する貴重な知識も永遠に失われてしまうことになる。

マグロのメスの成魚1匹が生む数百万の卵のうち、成魚になるまで生き残るのは、激しい生存競争を生き抜いた幸運な数匹だけだ。大半は、卵や稚魚のうちにほかの生き物に食べられてしまう。一方、その稚魚は、小さな海の動物を大量に消費する捕食者でもある。さらに、それらの小さな動物は、さらに膨大な量の植物プランクトンを食べて生きている。地球上の生命を支える海洋システムは、生涯を通じて海の食物連鎖の重要な一部となるマグロの存在を包含しながら、長い年月をかけて細部まで調整されてきたのである。

こうしたことがわかっている以上、けっして軽い気持ちでマグロを消費するべきではない。今、危うい状況にあるクロマグロを食べるのは、ユキヒョウやパンダを食べるのと同じだ。現在の傾向が続けば、人間の食用になる海洋種は今世紀半ばには壊滅するという予測もある。

では、私たちの急務は、マグロやメカジキをいつまで食べられるのかを確かめることだろうか?
それとも、残った魚たちを守るために何ができるかを考えるべきだろうか?

今なら、まだ選択の余地はある。

ph

Image Courtesy of Sylvia Earle archives

book拡大版を、ナショナル ジオグラフィック日本版公式サイトでお読みいただけます。

この連載は、書籍「ワールド・イズ・ブルー」(シルビア・アール著、日経ナショナル ジオグラフィック社)から抜粋、編集したものです。

書籍の紹介はこちらをご覧ください。


筆者プロフィ−ル

シルビア・A・アールシルビア・A・アール
1935年米国ニュージャージー州生まれの海洋探検家、海洋学者で、ナショナル ジオグラフィック協会付き研究者。ニューヨーク・タイムズ紙から「深海の女王陛下」「チョウザメ将軍」などのニックネームを与えられ、1998年にはタイム誌の「地球のヒーロー」に選ばれた。海洋生態系調査における第一人者として総計6500時間以上、70回を越える潜水遠征をし、水深1000メートルでの単独潜水を含むさまざまな潜水歴をもつ。2009年には、「世界を変えようとしている人物」に毎年贈られるTEDプライズを受賞した。著書に「ワールド・イズ・ブルー」「深海の女王がゆく」など

訳者プロフィ−ル

古賀 祥子(こが さちこ)
東京外国語大学外国語学部英米語学科卒。翻訳家。『なぜ女は昇進を拒むのか』(共訳、早川書房)、『アイデアマップ』(阪急コミュニケーションズ)、『この「聞く技術」で道は開ける』(PHP研究所)などの訳書がある。

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