カキの殻をこじ開けて、つるつるした灰白色の身を最初に口にした人は、好奇心と空腹感に抗えなかったのだろう。人間がいかにカキを好んで食べてきたかを示す証拠に、膨大な古代の殻の山が、現在と過去の海岸線を地球規模で縁どるように残されている。
カキの生涯は危険に満ちている。メスが一度の繁殖期に産む何億もの卵のうち、受精するのはほんの一部にすぎない。幼生として捕食者の群れをくぐり抜け、赤ちゃんカキになって岩や船底、身近にあるカキの殻などに着床できるのは、わずか1%だ。その後、体長7センチほどまでに成長するのに、水温の低い米国ニューイングランド海域だと3、4年かかる。
居場所を決めたあとのカキは、潮流に乗って運ばれてくるごちそうをせっせと飲みこみはじめる。海水を吸い込んでは、細菌やプランクトンから無機物まで、浮いている粒子を体内に蓄え、きれいになった水を吐き出すのである。
複雑な形の硬い殻が密集するカキ礁は、レンガやモルタルの建物が立ち並ぶ大都会のようなものだ。微生物はもちろん、魚類やイソギンチャク、ヒトデ、海綿動物、エビやカニなど様々な生物のすみかとなっている。カキ礁とその周辺に生息する生物は、15以上の門(生物の遺伝的分類の主要な区分)に及ぶ。この数は、緑が生い茂る熱帯雨林を含めて、陸上のあらゆる環境に生息する動物門の数とほぼ同じだ。カキがいなくなれば、こうした生物たちの暮らしは崩壊しかねない。
まだ人間が少なくカキの数が多かった頃には、人間がその一部を頂戴したところで、カキ礁の生物たちが姿を消すほどまでカキが激減することはなかった。ところが、17世紀にヨーロッパ人が北米にやってくるとアメリカガキは一気に減りはじめた。人口が増えるに伴い、それまでなかった採取法や保存法が取り入れられるようになり、カキが生息する海岸の物理的・化学的性質も変わりはじめた。20世紀の初めには、300万人のニューヨーク市民だけで1日におよそ百万個のカキを消費していたという。
長い歴史をもつカキ類も、ここまでけた外れの消費能力に対応するすべは備えていなかった。そのうえ、街や農場から流し放題の下水によって、沿岸海域はしだいに汚染されていった。ニューヨーク近くのチェサピーク湾に豊富にいたカキやアサリ、ハマグリなどの貝類は、今では100年前の2%足らずしか残ってい
カキなどの二枚貝のほか、アワビをはじめとする一枚貝も食用となっていった。大型の種が自然に生息している北米西海岸やオーストラリア、日本などでは、人間とアワビは数千年にわたってうまく共存してきたが、やがて捕獲数が自然の繁殖力を超えはじめると、問題が出てきた。カリフォルニアでは20世紀以降、商業目的でのアワビの採取が空前の規模で始まり、アワビの殻が大量に出るようになった。おもな目的は食用だったが、これがある第二次産業も支えることになる。虹色に輝く殻の内側を使ったボタンの製造である。
カリフォルニア周辺の海域では、20世紀になってアワビが減っていったのと並行して、ラッコの数が緩やかに回復してきた。ラッコは、はるか昔の約500万年前からケルプ(海藻)の森でアワビと共存していた。もともと30万頭ほどいたが、そのほとんどは、1911年に完全保護の対象になるまでの間に、毛皮貿易の犠牲になってしまった。1938年に沿岸沖に約100頭が発見されたとき、アワビはまだ比較的豊富だったが、アワビがごく少なくなった現在、中央カリフォルニア沿岸に3000頭ほどのラッコがいる。
アワビの大量採取による影響を無視して、ラッコが増えればアワビが減るという因果関係でこの状況をとらえる向きもある。しかし、生態学者の視点で見れば、ラッコはむしろアワビの一番の味方だ。アワビと餌を奪い合うウニの数を、ラッコが抑制しているのである。底生生物として海底に暮らすアワビは海藻の芽やケルプの若い葉を食べるが、ウニは新芽だけでなく生長した根や茎も噛み砕き、ケルプの森を食い尽くしていく。ラッコがいない海ではウニが猛然と繁殖し、ケルプの消滅でアワビは打撃を受けるのだ。
健全な生態系では、すべてのものに居場所がある。そこではケルプもラッコも、アワビもウニも、そして少数の人間さえも、たくさんの生物たちと共存できる。その生態系に対する理解を深め、しかるべき配慮を忘れなければ、減少してしまった生物たちが回復する可能性はある。それぞれの構成要素の比率にはやや問題があっても、要素そのものはまだかろうじて残っているのだから。少なくとも、今のところは。
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この連載は、書籍「ワールド・イズ・ブルー」(シルビア・アール著、日経ナショナル ジオグラフィック社)から抜粋、編集したものです。
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筆者/シルビア・A・アール
訳者/古賀 祥子(こが さちこ)