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第2回 クジラのいない海

ph0120世紀初め頃、多くの人々が、海には魚やクジラなどが永遠に存在しつづけ、その数は無限だと考えていた。  

だが、振り返って考えれば、これが幻想であることを示す証拠は当時も十分にあった。17世紀に北米沿岸水域に生息していた海の生物は、この頃にはすでに激減していた。今日まで存続しているのは、そのさらに一部だ。

それなのに、私たちが今目にしている現状を、まるでこれまでと何も変わらないかのように、「普通」だと考える人もいる。

人類は1万年以上も前から、少しずつ自然界を食いつぶしてきた。歴史の大半を通じて、狩猟採集が人間の生存を支えてきたのである。やがて食料源の大部分を耕作や家畜の飼育に依存するようになっても、野生動物を殺す行為はなくならなかった。狩猟本能はそれほどまでに人間に深く根づいているのだ。

商業目的で捕獲される鳥や陸生動物があまりにも多いことから、20世紀初頭から野生動物を保護する法律が発展しはじめ、世界各国で保護区の設置も進められるようになった。

不思議なことに、こうした自然保護の重要性に対する認識は、陸に関しては広がりつつあったが、海に関してはまったく異なっていた。現実には、クジラ、セイウチ、アザラシ、ラッコなど大型の哺乳類はすでに深刻なまでに減少していたにもかかわらず、である。

大型の動物種がまず人間の標的になるという生物学者の論理に従えば、最大の生物であるクジラが最も狙われやすいことになる。そのクジラが20世紀まで生きながらえられたのは、人間がその生息地までたどりつけなかったことが唯一の理由だろう。

私も子どもの頃は、クジラを人間と同じように個性や多面性のある生き物だとはとても考えられなかった。だが、学生時代に19世紀の捕鯨船の船長が書いた本を読み、波に乗って遊ぶクジラや、人間に襲われた子どもを命がけで守ろうとする母クジラもいると知ったときから、この素晴らしい生き物にまったく別の視点から関心を抱くようになった。

そして、生物学者でクジラの専門家でもあるロジャー・ペインとの出会いがもう一つの転機になった。ペインが温めていたザトウクジラの生態調査の計画に協力することになった私は、1979年2月にハワイ・マウイ島のラハイナ沖合で行った潜水調査で、はじめて生きたクジラと対面し、しなやかな巨体でダイナミックに水中を泳ぎまわる姿を目の当たりにしたのである。

その当時は、日本やロシア、アイスランド、オーストラリアなどがまだ商業捕鯨を行っていた。20世紀を通じては、約300万頭のクジラが46カ国の捕鯨者によって殺された。これを多いと見ようが少ないと見ようが、大型クジラの全種で生息数が大幅に減った事実は変わらない。

捕獲数の規制を目的とした国際捕鯨委員会(IWC)の委員を4年、アメリカ代表の副理事を2年務めた私は、1990年代に日本代表団のリーダーから「アメリカ人は牛肉を食べますよね? 牛のステーキを食べるのとクジラの肉を食べるのと、何が違うというんですか?」と質問されたことがある。

野生のクジラと家畜の牛との違いや、知識の源としての生きたクジラの価値を真剣に説明する私の話に、彼は黙って耳を傾けていたが、心までは動かなかったらしい。捕鯨は伝統で、持続的に行うことは可能だし、調査捕鯨もクジラをより深く理解するためにこそ必要だというのだ。

けれども、もし宇宙人が人間の死体だけを調べても、人間の社会行動や芸術、抱いていた夢などについては何もわからないではないか?

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Image Courtesy of Sylvia Earle archives

book続きは、ナショナル ジオグラフィック日本版公式サイトでお読みいただけます。

この連載は、書籍「ワールド・イズ・ブルー」(シルビア・アール著、日経ナショナル ジオグラフィック社)から抜粋、編集したものです。

書籍の紹介はこちらをご覧ください。


筆者プロフィ−ル

シルビア・A・アールシルビア・A・アール
1935年米国ニュージャージー州生まれの海洋探検家、海洋学者で、ナショナル ジオグラフィック協会付き研究者。ニューヨーク・タイムズ紙から「深海の女王陛下」「チョウザメ将軍」などのニックネームを与えられ、1998年にはタイム誌の「地球のヒーロー」に選ばれた。海洋生態系調査における第一人者として総計6500時間以上、70回を越える潜水遠征をし、水深1000メートルでの単独潜水を含むさまざまな潜水歴をもつ。2009年には、「世界を変えようとしている人物」に毎年贈られるTEDプライズを受賞した。著書に「ワールド・イズ・ブルー」「深海の女王がゆく」など

訳者プロフィ−ル

古賀 祥子(こが さちこ)
東京外国語大学外国語学部英米語学科卒。翻訳家。『なぜ女は昇進を拒むのか』(共訳、早川書房)、『アイデアマップ』(阪急コミュニケーションズ)、『この「聞く技術」で道は開ける』(PHP研究所)などの訳書がある。

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